「直感」からすべては始まった

「直感」からすべては始まったの写真

ICHTHYS(イクシス)発見のきっかけは、INPEX地質技術者たちの豊富な経験と見識に裏付けられた「直感」だった。

「この辺りの地下には、まだまだ石油やガスが集積しているのではないか…?」1990年代後半のこと。オセアニア地域での探鉱可能性を探るチームのリーダーを務めていた地質技術者の伴慎介(現技術本部フェロー 兼 新規プロジェクト開発本部フェロー)は、オーストラリア大陸の北西沖合に大きな可能性を感じていた。

現在のINPEXの前身企業の1つ、インドネシア石油は、インドネシアでの石油開発を推進するために1960年代半ばに設立された企業である。その後、事業拡大のため、隣国のオーストラリアへの進出を図ったのが1980年代後半。現地の大手石油・天然ガス開発会社と共同でいくつもの油ガス田の探鉱・開発プロジェクトを手がけ、同国での経験はすでに10年に及んでいた。

油ガス田の探鉱・開発は巨大なプロジェクトとなるため、いくつかの石油・天然ガス開発会社が共同でプロジェクトを推進するケースがほとんどである。そして、そのプロジェクト全体を指揮管理する主幹事会社はオペレーター(操業主体)と呼ばれ、それ以外の会社はジョイントベンチャーパートナーと呼ばれる。INPEXは、同国におけるノウハウを積み重ねるため、それまでジョイントベンチャーパートナーとしてオーストラリア海域の様々なプロジェクトに参画し、実績を積み重ねていたが、プロジェクトの主導権を持たないジョイントベンチャーパートナーとしての事業参加では、オペレーターの探鉱方針に不満を感じることも少なくなかった。なかには、油ガス田を発見したにもかかわらず、オペレーターの判断で、十分な評価検討が行われる事なく探鉱を打ち切り、撤退を余儀なくされた鉱区もあったからである。やはりリスクを背負ってでも、オペレーターとしてプロジェクトを担わなければ、自らが求める探鉱を成し遂げることはできないのではないか。伴はもどかしい思いを抱いていた。

1990年代に入り、かつて得られたデータを見ていた伴は、オーストラリア北西沖合ブラウズ堆積盆に、実はまだ油ガス田が存在しているのではないかと感じていた。
もちろん根拠はある。伴はかつて、INPEX最初のオーストラリア事業で、この海域の探鉱を通し、油ガス田発見に結びつけていた。オペレーターの判断で、探鉱開発を打ち切らざるをえなかったのは、まさにそのプロジェクトであった。また、この海域では、1970年代末にも、オーストラリアの大手石油・天然ガス開発会社が鉱区を取得し、試掘井“Brewster-1”でガスの集積を確認していた。しかし、同社は生産テストも行わないまま、商業性が見込めないと判断。結局、そのまま鉱区を放棄し、撤退していたのだ。

威信をかけた“壮大なチャレンジ”

そんな折、“Brewster”を含むこの海域を新規鉱区として再びオーストラリア政府が公開入札に付するとの情報がもたらされた。絶好のタイミングでチャンスが訪れた。各石油・天然ガス開発会社は、公開されたエリアの既存データを調査し、有望とみなされる鉱区があれば入札して、鉱区を取得する。さっそく伴は、試掘井“Brewster-1”の電気検層データを入手して検討を開始。電気検層とは、井戸の坑壁の地層の物理化学的特性を測定し、それから岩石およびその中の流体の諸性質を調査することだ。分析を重ねるにつれて、伴の「直感」は「確信」に変わっていった。「ここにはガスのみならず、コンデンセートが存在する。」並行して、伴のチームは周辺海域の古い既存地震探鉱データの再解釈も精力的に行った。

この鉱区に入札すべきだ。伴は経営陣にそう提言しながらも、「オペレーターとして」の一言を言い出せずにいた。「オーストラリアでのオペレーター」それはインドネシア以外でのオペレーション経験のなかったINPEXがまさに世界の大海原に乗り出すことを意味する。過去10年、環境先進国オーストラリアでのオペレーションの難しさの現実もまた十分見てきたつもりであった。しかし、その迷いを察してか、経営陣はINPEXの成長を託し、オーストラリアで初のオペレータープロジェクトにあえてチャレンジする英断を下したのである。これに意を強くして、伴はチームと共に入札の準備に着手。鉱区を取得するためには、オーストラリア政府にとって価値のある条件を提示しなければならない。競合相手との勝負に勝ち、鉱区を落札しなくてはならないからだ。鉱区を取ったからといって商業生産まで至るとは限らない。先の発見構造のように、途中で断念するケースも珍しくはない。石油・天然ガス開発とは、それぞれのフェーズごとに乗り越えなければならない様々なハ―ドルが課せられる威信をかけた“壮大なチャレンジ”なのだ。

INPEXは、狙いを定めた鉱区で3坑の試掘井をコミットして入札に臨んだ。競合相手がこれよりも多くの試掘井をコミットしていれば、入札に敗れる。居ても立ってもいられない心境だった伴は、旧知の政府関係者に探りを入れる。すると同じ鉱区には、かつて“Brewster-1”でガス層の存在を確認したものの、撤退した豪州企業も入札しており、競合していることが判明。伴は、なじみのあった同社探鉱部長のもとに直接赴き、正面から切り込んだ。「我々はこの鉱区で3坑コミットした。おたくは?」。同社の探鉱部長は、にやりと笑うと、あっさり、こう答えた。「お前の勝ちだ。」

蓋を開けてみれば、試掘井をコミットしていたのはINPEXだけだった。その会社は、この鉱区の地震探鉱調査だけを提示し、試掘井をコミットしてはいなかった。すなわち、伴たちINPEXの地質技術者だけが、この鉱区に大きな可能性を見出していたのだ。

威信をかけた“壮大なチャレンジ”の写真

“ICHTHYS”それは救世主

“ICHTHYS”それは救世主の写真

こうして1998年、INPEXはオーストラリア北西沖合でオペレーターとしての探鉱プロジェクトを取得した。だが、同時に問題もあった。当時、INPEXは中東をはじめ世界各地で大きな開発プロジェクトにチャレンジしており、このオーストラリアのプロジェクトに十分な人材を充てる余裕がなかったのだ。そこで伴は、経営陣を説得し、現地で有能な人材を募り“多国籍チーム”を結成しようと企てる。石油・天然ガス開発は、世界の景況に大きく左右されるビジネス。90年代後半は原油価格が低迷し、メジャーと呼ばれる大手の石油・天然ガス開発会社もリストラを行い、ポジションを失った技術者たちが巷にあふれていたが、有能な人材の確保は決して容易なものではない。伴は、オーストラリアで築いてきた人脈を利用して、彼らにアプローチした。「我々にとってこの国でのオペレーターは未知のチャレンジ。だから、ベテランであるあなた方の力を借りたい。このプロジェクトを一緒に成功させて、メジャーに一泡吹かせてやろうじゃないか。」そんな伴の口説き文句に、志あふれた精鋭たち5名が集結。これに、本社からの3人を加えた魅力的な9名の日豪混成チームが誕生し、プロジェクトは本格的に動き始めた。

INPEXがこの海域で探鉱を進めることに対して、当初は「こんな鉱区に試掘井を3坑もコミットするなんて有り得ない。」などと業界他社から冷ややかな目で見られていた。事実、ジョイントベンチャーパートナーとしてメジャーや地元大手企業を含む同業各社にプロジェクトへの参画を打診したものの、軒並み断られる有様。しかし、伴たちのチームは、試掘を行った第1号井から見事に成功を収める。ここには、想像していた以上に膨大な量のガス・コンデンセートが広がっていることが明らかに。そのニュースはすぐに業界を駆け巡り、各社を驚かせた。後日、誘いを断った某メジャーの技術者に「打診を受けたときに参画しなかったのは当社の社史に残る不覚だ。」とまで言わしめたほどのインパクトを与えた。

その後も、伴の指揮の下、試掘2号井、3号井は成功を収め、スピーディーに探鉱作業が進む。伴は、これら3坑の試掘井それぞれに、約4億年前にこの周辺海域に生息していた全長10mに達する古代巨大魚の学名“DINICHTHYS”“GORGONICHTHYS”“TITANICHTHYS”という名称をつけた。これは試掘を開始した当初から、彼がひそかにあたためていたアイデアだった。成功の暁には、その接尾語“ICHTHYS:イクシス”(=ギリシャ語で魚の意)を、プロジェクト全体の名称にしたかった。実は“イクシス”という言葉には、ギリシャ語で“救世主”という意味も秘められている。誰からも十分に評価されることがなかった鉱区で発見されたガス・コンデンセート田“イクシス”は、オペレーターとしてリスクを負い果敢に挑んだINPEX、冷ややかな目で見られながらも自らの信念にもとづき挑んだ石油技術者にとって、まさに救世主となったのだ。こうして古代魚たちは、巨大ガス田として現代に甦った。